1996年7月イタリア、サンマリノ。出会いは突然だった。
当時僕はオートバイでイタリアをツーリングしていた。
サンマリノに向かったのはミラノで買ったバイク雑誌に近々サンマリノでモトクロス世界GPがあると書いてあったからだ。
モトクロスが大好きな僕はヨーロッパに行ったら必ず本場のレースを見るんだと心に誓っていたので当然ツーリングのルートはそれが優先された。
木曜日にサンマリノに着き、先ずはチケットを手に入れようと、取りあえず会場となるモトクロス場を目指した。
すると道端に世界GPと書かれた小屋があった。
ここでチケットが買えるかなとバイクを停め、中に入ろうとすると小柄な日本人女性が、ぴょんとドアから出てきた。
向こうもこっちも「あれ?日本人?」という戸惑いを見せて、「こんにちは・・・」とどちらからともなく頭を下げた。
すると次に背が高くてひょろりとした日本人男性が、ぬっと出てきた。あーっ、この人は!
「こんにちは。佐藤敏光さんですね」
「えっ…?なんでオレの名前を知ってるの?」いきなり名前を言われて驚いたに違いない。
「だって佐藤さんの写真のファンですから」。
「ライダーの情熱が伝わってくる写真。読者の心を揺さぶる文章」
話は20数年ほど遡る。僕がオートバイの免許を取った頃オートバイレースの記事は月刊オートバイや月刊モーターサイクリストなどに白黒ページで小さく載っているのが普通だった。
一誌だけ違ったのがライダースクラブだった。世界GPの記事をロードレースもモトクロスもきちんと載せていた。
また写真も美しかった。だがきれいにまとまりすぎていて何かこう、NHKのニュースを見ているような堅い感じがあった。
それでも世界GPの雰囲気が味わえるライダースクラブが毎号楽しみだった。
そしてライディングスポーツが創刊された。
ロードレースもモトクロスもレースの結果だけのレポートに終わらず、その中の人間たちのドラマを深く捉えた雑誌だった。
レースの写真を佐藤さんが撮り、記事を夫人の加世子さんが書く。
彼らが送ってくる世界GPモトクロスのレポートからはライダー達の情熱、汗、息遣いが誌面から溢れていた。
勝負に対するライダーの執念を映す目、引き絞られたスロットルグリップ、汗が、オイルの焼ける匂いが伝わってくる写真。そしてそれを肉付けする、臨場感溢れる記事。実際に読んでいて何度も目がウルウルとなった。
毎月発売日が待ちどうしく、発売されると真っ先に佐藤さんの記事から読んだものだ。
そのライディングスポーツも今ではモトクロスの記事がなくなり、ロードレース、ロードバイクのみになってしまったのが非常に残念だ。
現在佐藤夫妻らしいGPの記事を読めるのは2ヶ月おきに発行されるダートクール誌のみとなった。
オートバイでツーリングしていること、モトクロスが好きで世界GPを見に来たこと、2人が書いているライディングスポーツの記事が好きで読んでいるということを話したらうんうんと納得してくれた。
彼らはサンマリノGPを取材に来ていてレース場のキャンプ場に泊まるということだったので僕も合流させてもらった。おまけにレースのチケットを用意していただいたり、彼らのキャンピングカーで加世子夫人が作る、久々の日本食をご馳走になったりといろいろとお世話になった。
僕はもう1年程バイクで貧乏旅行をしていたので、彼らはノラ犬を拾ったような気持ちになったのかもしれない。
あるいは、彼らも最初はバイクで2人乗りしてキャンプしながらGP取材していたので昔を思い出したのかもしれない。
「佐藤さんの写真にはライダーの情熱が表れています!音、空気が伝わってきます!」
というと柔和な彼の顔がもっと崩れた。
「加世子さんの記事にはドラマが詰まってます!ああいう記事を読まされた日には、もうGPを見に来るしかありません!」
というと彼女もうれしそうな顔をした。
やたらと!マークが多いが憧れの2人に会えたことで興奮していたのだ。
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