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世界一周ツーリング日記  1995年6月〜1998年6月
68 チュニジア 1996/11 チュニジア

 

パンとぬるーいコーヒーの朝食を食べ、9時半頃ホテルを出る。
マトマタから直接DOUZへの道を選んだが舗装路は12キロで終わってしまい、そこからはずーっとダートが地平線まで続いていた。予想してなかったがさほど荒れていなかったので楽に走ることが出来た。
360°地平線の景色が続く。1時間ほど走ると軍?の基地があり、そのずっと先に井戸があった。機械のポンプで水を汲み出しているらしい。
そして道幅が3メートルから1メートルになり、砂は深くなった。この先80キロ砂の道なのか?
ポンプ小屋まで引き返したった一人で働いていた青年に道を聞いた。すると砂が深いのは少しだけで、たくさんのバイクが走っているということだった。
難所を抜けるとポツンとカフェがあった。

店内は薄暗くで土間だった。コーヒー0.5ディナールと少々高い。壁にはたくさんの名刺が貼られていて中には日本人のもあった。そんなにたくさんの旅行者が通るのか。僕も壁にサインしていく。
DOUZに着いた。
ここは「サハラの入り口」と呼ばれているらしくたくさんの砂漠ツアーの4輪駆動車が走っている。ホテルに荷物を置いて身軽になって隣村まで行ってみたらそこは観光のかの字も無く何もなかった。
大きなホテルの前にたくさんのらくだがいた。バイクを停めるとすぐに子供が寄って来てらくだは120頭いるんだと地面に書いて教えてくれた。彼らの写真を撮らせてもらったら金くれよと手を差し出してきた。またか!
砂丘の奥へバイクで入っていく。荷物がないのですごく走りやすい。

村の中心部にゆっくりと入っていく。チュニジアの人々はみんな気さくに手を振ってくる。
にこにこ笑って「ボンジュール」と言ってくる。小さな子供たちがほんとにかわいくて心が和む。バイクを停めようものならワーッと寄ってきて、アラビア語やフランス語で質問攻めだ。せめてフランス語が解ったらな・・・
DOUZの村は数万、いや、数十万本ものなつめやしの木に囲まれていた。小高い砂丘の上にバイクで登ると、地平線まで続く砂の海が見えた。この先数千Kmサハラ砂漠が広がっている。
風紋が美しい。ただただ砂があるだけで何もない。天と砂で空間を二部しているのだ。広大なサハラ砂漠。
走りたかった。アルジェリアの国境が開いていたらそのサハラ砂漠を縦断するつもりだったが現在は内戦状態で危険なのだ。どうして人間は戦争ばかりするんだ。

日が落ちるとストンと気温が下がった。
同じホテルにまた昨日の日本人女性3人が泊まっていた。こんな町外れのホテルでまた会うとはすごい偶然。
しかし彼女らはまたアラブ人につかまっていた。
助け舟のつもりで彼女らとずーっと日本語でしゃべると男はムッとして去っていった。やれやれ。
彼女らと夕食を食べ、何もない町を一回りして宿に戻る。ホテルにいるアラブ人は隙あらば「一緒にお茶飲もう」と言ってくるらしかった。今は男の自分がいるのであまりしつこくはないが、明日別れたあとはどうなることやら。

明け方いきなりコーラン放送で起こされた。町中のモスクでそれぞれいっぺんに放送しているらしい。
まだ5時半・・・。
朝食を食べ、彼女らはらくだ1日ツアーに行った。
僕は朝の町を散歩した。町には英語は見当たらずアラビア文字ばっかりで、老人たちはみんな頭にターバンを巻き、マントを羽織っている。

NEFTAに着いた。町の外側にやはりなつめやしの木があり、その先には真っ平らなドライレイクが続いていた。南西に40キロ行けばもうアルジェリア国境だ。
ホテルにバイクを置いて町を歩くと踊りの集団に出くわした。大人や子供がきれいな格好をして楽器を鳴らしながらぞろぞろと歩いている。おもしろそうなのでついていってみる。外国人が珍しいのかみんなじろじろ見てくる。集団の中の一人が英語ができた。それは結婚の行事らしかった。これから新郎の家に行くらしい。
旧市街は要塞のようになっていて城で囲まれていた。ホテル前にある広場のカフェでコーヒーを飲む。テレビではアラブ版MTVみたいな番組をやっていた。それを50〜60歳くらいのじいさんたちが真剣に見ていた。

5時半に目が覚めた。朝の祈りの放送が遠くに聞こえる。離れていて良かった。
もうすぐチュニジアも終わりだ。
KAIROUANの朝を散歩する。ホテルを一歩出るとそこはもう市場で、辺りは露天商で埋まっていた。野菜、果物、香辛料、何でもある。そしてたくさんの買い物客で賑わっていた。
これだあ!中南米の市場とよく似たこの混雑振り。こういうのに惹かれるのだ。うまそうなサンドイッチを買ってみたらすごく辛かった。

チュニスに近づくと雲が多くなり寒くなってきた。午後3時頃チュニスに戻ってきた。遅い昼食をガイドブックに載っていた豪華レストランで食べる。
イタリアへのフェリー乗り場へ行き、窓口と銀行を行ったり来たりしてやっとチケットを買うことができた。
XR600が一台船を待っていた。イタリア人ライダーで1ヶ月ほどリビアの砂漠を走ってきたらしかった。リビアにはバイクを車で運んでくれるツアーがたくさんあるそうだ。うらやましい。
お腹の具合がおかしくなってきた。レストランでの食事が当たったのだろうか。しばらくトイレから出られない。
トイレから出ても吹きっさらしの港で乗船を待つのは寒い。
やっと船に乗り込むことが出来、午後11時にチュニスを出航した。
やれやれ。

 

 

 


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