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世界一周ツーリング日記  1995年6月〜1998年6月
63 イタリア 1996/9 イタリア

 

ドイツから南下してイタリアへ向かう。
イタリアに入る前に偶然見つけたアウトドアショップに入ってみると、前から欲しかったサロモンの登山靴があった。しかも安い。日本の半額くらいだ。決定。
それまで履いていた、足の裏に穴が明いたノースフェースのゴアテックスシューズに別れを告げて新品のサロモンに足を通す。すごく硬くてモトクロスブーツみたいだ。

前に世話になったイタリア人の友人の家を訪ねてみる。まさかまた戻ってくるとは思わなかったな。
記憶を頼りに彼の家を目指す。すると無事に着いた。
ちょっとドキドキしながら家に入っていく。
「チャオ。いますか?」
家にはルイジと母親がいた。
「アキーラ?アキーラ!よく戻ってきたわね!」と、突然の訪問に彼らは驚いていたが、暖かく迎えてくれた。
「今度はいつまでいるんだい?」
「実はバイクの整備をやりたいんだ。一週間ほど泊めてもらえないだろうか?」
自分で言っていてすごく厚かましく呆れてしまう。でも彼らはいいよと言ってくれた。なんとありがたいことか。
これからのアフリカ行きに備えてバイクを万全の体制に整えておかねば。
昼間彼らが仕事に行った後、ガレージでバイク整備だ。
日に日にバラバラになるバイクを見て彼らは驚いた。2日目にバイクのエンジンをクランクケースまで全バラすると丁度長男のマモが仕事から帰ってきた。「アキラ、何してるんだい?」「ん?ご覧の通りエンジン全バラさ」というと彼は目を丸くして「みんな大変だ。アキラが狂ったぞ」と言いながら家に入っていった。
車体もすべてグリスアップする。交換が必要なパーツを洗い出してみると1500ドル!くらいかかりそうだった。これなら日本に直接注文した方が遥かに安い。日本のバイク屋さんへFAXして部品を送ってもらうことにした。
届くまで最低10日近くかかる。

部品待ちで何もすることがない時には彼の家が経営するワイナリーの仕事を手伝う事にした。2日かけて倉庫の電気工事と壁塗りをした後はワインの仕込みが待っていた。
朝、みんなで車に乗り込んで集合場所のぶどう畑へ向かう。日当たりが良さそうな山の斜面にはびっしりとぶどうが植えてあった。眼下には小さな村々がポツンポツンと見える。近所の人達が20人ぐらい集まっていた。ぶどう摘みはみんなでやるらしい。丸々と実ったぶどうの房を手に取るとずっしりと重い。ハサミで房を切り取り次々とバケツに入れるとすぐにいっぱいになった。それをトラクターに載せて運んで行く。
みんな大声でおしゃべりしながらぶどうを摘んでいく。ぶどう畑には笑い声が絶えない。
昼食の時間にはおいしいイタリア料理が振舞われた。ワインは当然ここで取れた物。みんな良く食べよく喋り、テーブルにも笑い声が絶えない。まるでイタリア映画を見ているようだ。
夕方に終了になった。摘み取ったぶどうはトラクターで醸造所へ運搬し、機械でやさしくすり潰し、大きなドラムに入れてゆっくり回転させるとドラムに明いた穴からぶどうのジュースがどんどん出てくる。そのジュースをポンプで貯蔵タンクに移す。醸造所はぶどうの甘い香りでいっぱいになった。
「今年の出来はどうなの?」
「いいよ。糖度も充分だ。いいワインが出来そうだ」。自分は夕方に帰らせてもらったがみんなが帰ってきて揃ったのは夜遅かった。
 

日本からのパーツが届いた。ブレーキ周りとピストン、バルブ周りを整備すると快調になった。8万5000キロ走ったバイクとは思えないようないい音をしている。まだまだ頼むぞ。これからのアフリカ行きに備えてかなり荷物も減らした。
みんな口々に「バイクはできたか?完璧か?」と気にかけてくれる。みんなにずーっと迷惑をかけてきた。月曜日に出発しよう。

出発前に郵便局から日本へ不要な荷物を送る。全部で15Kgくらいあったので驚いた。こんなに送ったのにどうしてまだまだ重たいんだ?最後の昼食をごちそうになる。アルベルトとマモは昼食後に仕事に戻っていった。
急に静かになった家には彼の母親と自分しかいなくなった。

長い間本当にお世話になった。いきなり押しかけてきて「しばらくおいてくれ」という厚かましい願いを嫌な顔一つせずに受け入れてくれた。たくさんの人にお世話になり、たくさんの人と知り合いになれた。
イタリアが好きになった。
母親に別れを言い少しウルウルしながら家を出た。

 

 

 


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