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世界一周ツーリング日記  1995年6月〜1998年6月
61 スイス 1996/8 スイス

 

まったくの平らだったオランダを過ぎ、ドイツに入るとやっと起伏が現れた。といっても山ではなく丘だったが。
ベルリンの町を歩くと旧西ドイツは近代的なビルが建ち並びそしてあちこちで工事をやっている。
ポツダム広場には大再開発プロジェクトのインフォメーションビルがあった。
その広場にはベルリンの壁があった。あったというよりは残してあるという感じだが。

高さ4メートル、幅30センチ。予想以上に壁は分厚くとても頑丈に見えた。壁面には様々な絵が描かれてあった。
これがベルリンを東西に分割していたのか。旧東ドイツ時代のビルをぶっ壊し、ぞくぞくと新しいビルが建設中なので、ベルリンの町は今とても醜い。生まれ変わろうとしている時期らしい。
歩いていると駅に着いた。この駅は古いままだった。高層ビルが建ち並び、ネオンぎらぎらの西側の駅と比べると、東側の駅は錆びた鉄骨が剥き出しで汚い。その付近は戦前の古い建物がたくさん残っていた。
車も少なく町もどことなく静かだ。あまりのギャップに驚いてしまう。
ベルリンの壁崩壊から6年。旧西側と旧東側が融合して一つになるにはまだまだ時間がかかりそうだ。

スイスに入り、くねくねと曲がったトンネルを抜けるとそこはチューリッヒだった。やはり都会だなあ。
郊外のきれいなYHに2泊して、スイスアルプスへ向かう。
チューリッヒを離れると工場や町が無くなり、いい景色になってきた。大きな山も現れて日本の北アルプスを思い出す。しかしここは本物のアルプスだ。まるで絵葉書のような景色が次々と現れる。
湖や川は絵の具を溶かしたような、きれいなエメラルドグリーンをしている。

ランターブルネン村のユングフラウキャンプ場に着いた。ここはユングフラウヨッホ山の麓にあるきれいなキャンプ場だ。
氷河が削り取った数百メートルもの崖が両側から迫ってくる。アメリカのヨセミテ国立公園のエルキャピタルを彷彿させる。

近辺をバイクで流すとアルプスの雪山たちが一望に見えた。
4000メートルを超える大きな雪山と美しい牧場、洒落たヒュッテと青い空。なんとスイスらしい景色だろう。
ゴーグルなんてしていられない。スピードを出す気にもならない。

今日は雲一つない快晴だ。高い雪山もくっきり見える。これは山頂に行かなくては。
料金があまりにも高いので登山列車に乗ることを諦めていたが今日の天気を見て行くことにした。
窓口には30人ほど並んでいた。
「ユングフラウヨッホ駅まで一枚」
「はい、138.5フランです(17000円)」。
分かってはいるが改めて言われると目がくらくらする。
小さな電車の下には歯車がついていて、すごい急坂をグイグイ登っていく。

どんどんアイガーが、ユングフラウが近づいてくる。1時間ほどで中腹の駅に着いた。正面にはアルプスが視界の端から端まで雄大に横たわっている。こんなところにホテルもあるのか。

列車を乗り換えてユングフラウヨッホ駅へ向かう。線路は山の中をくねくねと貫いている。
車掌がありえない角度に傾いて車内を歩いていた。座っていると分からなかったがそんなに急坂だったのか。
トンネルの中に2ヶ所駅があり壁に明けられた穴から外を見ることができた。
1時間ほどで3450メートルの終点に着いた。列車を降りるとすごく寒い。
エレベーターに乗ると山の稜線に建つ展望台に出た。そこからはアルプスの山々、大氷河、そして下界の町が全て見えた。やっぱり来て良かった!雪の白さが目を刺すように眩しい。

外はー8℃だがガラス張りの建物の中はすごく暖かかった。こんな山の上なのに建物はホテル並みに立派で何でも揃っていた。雄大な景色を眺めつつ、暖かい室内で、持ってきた昼食を食べる。しかし飲んだワインのせいか高山病なのか少々具合が悪くなってきた。なんてったって3450メートルなのだ。
頭痛と吐き気と眠気。南米の5100メートルでもどうもなかったのに。列車で一気に登ってきたからか。
かなりのんびりして、夕方になって下山するともう山は雲に隠れていた。昼間あれほど賑わっていた中腹の駅は閑散としている。
景色がいい山の中ではその美しい己の姿は見ることができない。頂の駅よりこの中腹の駅からの眺めの方が良かった。そのまま帰るにはあまりにもったいないので下りの電車を1本遅らせよう。今日は大満足だ。
ここには1日か2日滞在の予定だったが、登山したり、マウンテンバイクを借りたりして過ごし、結局5泊してしまった。都市部に滞在するより遥かに充実した日々だった。

 

 

 


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