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世界一周ツーリング日記  1995年6月〜1998年6月
51 イタリア 1996/7 イタリア

 

月曜日になりやっとミラノに来た目的のバイクの保険に入ることができた。
45日間で85ドル。東欧以外の殆どのヨーロッパをカバーするらしい。
これで落ち着いてツーリングできる。
よし、イタリアツーリングの始まりだ。まずは最初にすっ飛ばしたジェノバに戻る。

ジェノバといえば「母を訪ねて三千里」らしいが僕はそのアニメを見ていないのでイマイチピンと来ない。
そこは古い港町らしく港には色んな船が繋がれていた。狭い通りは建物がひしめき合っていていかにもイタリアという感じの街並みだ。
町を見下ろす山の上にはお城がありそのそばにYHがあった。
YHに荷物とバイクを置いて身軽になり、歩いて山を下りて2日間町歩きを楽しんだ。

イタリアの西海岸、いわゆるブーツの形をしたイタリアのすねの部分を南下する。
結構険しい道でまるで日本の峠道を走っているかのようだ。きれいな家が山の上にも中腹にも見える。
中南米では山の上には貧乏人が日干しレンガの貧相な家を建てて住んでいるがそれとは大違いだ。そんなことでも、あーヨーロッパなんだなと思ってしまう。
それを一番感じるのはガソリンを入れてお金をたくさん払う時だが。
周りが一面畑に変わった。所々、道路脇の空き地に女性が立っている。ヒッチハイクにしてはえらく服装が派手だなと思ったら、売春婦だった。のどかな田園風景にド派手な服を着た売春婦達。すごい組み合わせだ。

PISAという町に着いた。ピサ?ひょっとして?と思ったらやはりあのピサの斜塔で有名なピサだった。

実物は想像以上に傾いていた。よく倒れないもんだなあ。
外から眺めて内陸のフィレンツェへ向かう。
夕方に着いたがYHは満員だったのでYHのキャンプ場にテントを張る。近くにあったバイク屋を覗いてみたがXR250はイタリアに輸入されていなかった。バイクのチェーン、スプロケットが磨耗しているので早く交換したい。

フィレンツェはきれいな町で有名だが何かゴチャゴチャした町を観光する気にならず翌日には出発してしまった。
翌日の昼頃ローマに着いた。YHに宿を取り3日ほど滞在して雑用と市内観光をする。
バチカン宮殿の美しさにため息をもらし、トレビの泉やコロシアムで大勢の観光客に呆れながら自分もおのぼりさんになる。

ローマからしばらく走るとナポリに着いた。僕にとっては「トムとジェリー」に出ていたナポリの印象が強い。
実際ナポリは想像していたイタリアらしいイタリアだった。町はごちゃごちゃとしていて道は狭くミニバイクが氾濫してそのどれもが信号なんて守らない。なんて自由なんだ。

山の上の展望台から町を眺めると大きな港と城塞とごちゃごちゃした街並みが見えた。

ナポリはイタリア人にも人気があるのだろうか、観光客らしい親子3人が町を眺めていた。話をしてみると彼らはサルディーニャ島から一週間の予定でナポリ、ローマの旅行に来ていた。かわいい娘は17歳くらいだろうか。
父親からコーラをごちそうになった。彼らはイタリア語なのであまり会話にはならなかったがイタリアに着いて初めて普通のイタリア人と接する事が出来た。バイクで町に戻る時バス停でさっきの親子が手を振ってくれた。

ごちゃごちゃしたナポリの町を抜けて、のどかな畑が続く道から内陸部へ向かうと道はとたんに険しくなった。
分水嶺を越えると道はアドリア海に向かってずーっと下っている。気温もぐんぐん上り、電光掲示板は40℃を示しているではないか。
エメラルドグリーンの色をしたアドリア海には数万人とも思える海水浴客がいた。この海の向こうはユーゴスラビアだろうか。
とりあえず海岸沿いのキャンプ場に泊まることにした。キャンプ場にはトレーラー式のキャンピングカーが多い。みんな家財道具一式持ってきているのではと思えるほど道具が多い。テレビや冷蔵庫まであるぞ。夏のバカンスをこういう所でずーっと過ごすのだろうか。
さあ明日はサンマリノだ。

 

 

 


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