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世界一周ツーリング日記  1995年6月〜1998年6月
41 アルゼンチン 1996/3 アルゼンチン

 

7時半に起きる。気持ちいい朝だ。昨日の家族に礼を言って出発する。
町をゆっくりと通り抜ける時に不意にパンを焼くいい匂いがした。無性にパンが食べたくなり匂いを頼りにパン屋を探すとそれは雑貨屋の奥にあった。棚には焼きたてのパンがズラリと並んでいる。
「にいちゃん、パンが欲しいのかい?」とフィルターがぺったんこに噛み潰されたタバコをくゆらせながら、渋い店の主人言った。
「どこの国だい?」
「日本です」
「日本か、そうか。ここには日本人とドイツ人がたくさんいるんだ。おれはドイツ語なら話せるんだがな」
見た目はまったくの白人だった。彼の娘らしき女性は、薄暗い店の中なのに彼女だけスポットライトが当たっているかのような真っ白い肌ときれいな青い眼を持っていた。アルゼンチンはヨーロッパの移民が多くしかも白人以外を追い出したという過去があるので南米の他の国々とは人種の比率がまったく違う。
焼きたてのアツアツのフランスパンを2つ買った。50円。この国ではパンだけは安い。どこか景色がいいところで食べようとバイクで走り出したがパンが気になって仕方がない。我慢できずに道路脇でパンにかぶりつく。うまい。噛むほどに小麦の甘みが口いっぱいに広がってくる。チリとアルゼンチンのパンはやたらとうまい。いい小麦がとれるのだろう。

やがて家族連れが言っていたように大きな石油掘削用のポンプがいくつも現れた。どれも盛んに頭を上下に振っている。石油基地もあった。
国境からずっと東に大陸を横断するように走ってきて、そして大西洋が現れた。青く美しい海が輝いていた。そこから南へ90度方角を変えて今度は海岸線を南下する。今まで強い西風を背中に受けて走っていたので楽だったが、今度はそれを横からまともに食らうので走りづらい。ギヤを1段、2段と落とさなければならないほどだ。海岸線から少し内陸に入ると180度の地平線がぐるりと円を描き、まったく景色は変わらなくなった。強い西風の中、斜めに傾いたまま地平線の向こう側目指して走り続ける。どんどん南下するとどんどん気温も下がっていった。

翌日の夕方になってやっと国境に着いた。南米の南端付近はアルゼンチンとチリとの国境が複雑で何度も国境を通過しなければならない。まあ比較的スムースに通過できるのでいいがやっぱり面倒くさい。それから50Kmほど走ると小さなフェリーターミナルに着いた。車10台ぐらいでフェリーは満杯になり、客室もなかった。

フェリーというより渡し舟という感じの船はマゼラン海峡をゆっくりと渡り、30分程でフエゴ島に着いた。とうとうここまで来たか。大地に足を着けると南米大陸南端の島に着いた実感が湧いてきた。周りは何も無く冷たい風が吹いている。とりあえず宿があるところまで走ろう。しかし行けども行けどもホテルはおろか町も無い。暗くなった大地の向こうにチラチラと炎が見える。石油か天然ガスでも出ているんだろうか。昔フエゴ島を発見した人が船の上から原住民の焚き火を見て炎の大地と名付けたそうだが、これはその現代版といったところか。闇夜のダートを走り続けるとチリとの国境に着いた。もうこれ以上走りたくないので閉まっていたホテルの横でキャンプをする。ワインが残っていて良かった。
寝ていると段々と寒くなってきた。最初バイクのジャケットを寝袋の上にかけていたが、寒さで目が覚めてジャケットを着て寝袋にもぐりこむ。しばらくしてまた寒くなって目が覚めたので今度はシュラフカバーを引っ張り出してそれにもぐりこむ。とたんに焚き火のにおいが湧き上がってきた。グアテマラで登山をした時に一晩中焚き火の煙で燻されたのでにおいが染みついているらしい。

夜中にふと目が覚めた。すると寝ている体がふわりと浮かんできてテントの天井まで持ち上がるではないか!体は金縛りにかかったのかまったく動かない。ゆっくりと地面まで下がるとまた浮き上がった!これは幽霊かポルターガイストか。なんなのだ!しかしどうすることもできずただ恐怖に耐えるしかない。そしてまた体は下がっていった。なぜかテントの天井から、寝ている自分の姿を見ている。
気が付くと朝になっていた。あれは夢だったのだろうか。金縛りや不思議体験は生まれて初めてだったので、怖くて叫び声を上げたかもしれない。

 


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