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世界一周ツーリング日記  1995年6月〜1998年6月
37 チリ 1996/2 チリ

 

アンデス山中のラパスを出発して太平洋を目指す。
都市を出ると道は今まで以上にひどくなった。泥ぐちゃのモトクロスレース後のウォッシュボードか?と思うようなとても車が通るような道ではなかったが地図にはその道しか載っていない。
干上がった川をいくつも渡るが、たまに水が流れていたりすると下見をしなければならない。バイクをエンジンをかけたまま停めるとアイドリングの振動で柔らかい地面にズブズブとバイクが沈んでいくではないか!一時も気が抜けない。そろりそろりとしかし急いで渡ろうとしたらズボッと前輪が泥にはまった。もう動けない。しかしバイクを支える足はじわじわと沈んでいく。一旦エンジンを切り、軽くするためにバイクから荷物をすべて降ろして、軽くなったバイクを硬い地面のところまで引っ張りあげるとやっと川を渡ることができた。すごいぞ、ボリビア!もう水没はこりごりだ。

日が暮れる頃民家が数軒あるだけの小さな村に着いた。どうやら国境の村らしい。建物の壁に標高4800mと書かれてある。4800m!初体験。足元1000m下にやっと富士山の頂上があるのか。辺りは雪山が間近に迫り、冷たい風が吹き降ろしている。この村にはホテルの看板はなかった。今日はキャンプかと思い一軒だけあった雑貨屋兼レストランに入ると欧米人が2人いた。彼らはドイツ人で彼らは今日この食堂に泊まるらしい。話をすると彼らの部屋に一緒に泊めてもらえることになった。部屋といってもベッドも無ければ灯りもないただの部屋だったが外よりかはマシだ。寝袋を引っ張り出して寝る。

日の出前に目が覚める。外に出るとぐーっと冷えていた。気温2℃。雪山を照らし出す美しい日の出だ。村の高台には峠を見守るかのようにキリストの像が立っていた。

食堂でパンとコーヒーの朝食を摂った後チリとの国境に向かった。
ボリビアの出国は入国の苦労がうそのように簡単に済んだ。ワイロの請求もなかった。チリ側の国境まで峠を登ると標高5100mになった。その国境は美しいチリの国立公園の中にあり辺りは6000m級の山々が連なっていた。空は黒いほどに青かった。チリに入ったぞ!

国境を過ぎると道は太平洋まで一気に下っていく。気温はどんどん上昇し空気もねっとりとその濃度の高まりを感じさせてくる。かぶり気味だったバイクは俄然調子を取り戻し、快調に気持ちよく下っていく。
海辺の大きな町アリカに着いたので宿探しの為観光案内所へ向かう。安宿の場所を尋ねると係のおじさんが丁寧に教えてくれた。彼はぶっとい眉毛と青い目を持っていた。ああ、ここはもうインディヘナが住むアンデスではないんだと実感させられた。町を歩くとゴミ一つ落ちてなくてとてもきれいだ。ボロ車も走っていない。かわいい女性も多い。まるでコスタリカのようだ。

太平洋岸沿いに南下する。一歩町を出るとそこから先は砂、砂、砂の世界だった。どうしてこんな砂ばっかりで何も無い広―い世界があるのだろう。想像の域を遥かに超えている。茶色の砂と青い空。それしかない。他の国だったら何もないというところでもポツリポツリと家が現れるが、チリはほんっとに何もない。「なんにもない、なんにもない、まったくなんにもない」と、ハジメ人間ギャートルズの歌が浮かんでくる。2500Km南の首都サンティアゴまで同じ景色がずーっと続く。

サンティアゴまで一気に走り、近郊の港町ビーニャデルマルの日本人宿に泊まる。この宿にも南米を長期に旅している人たちが多かった。そして沈没組も多かった。彼らはもう数週間も滞在していて、やることといえば他の旅行者と麻雀したり本を読んだりしているだけだ。中には地元の子持ちの女性と仲良くなって彼女の子供からパパと呼ばせている人もいた。物価が安くて居心地がいいところに、よく言えば充電、悪く言えばだらだらと無意味な日々を過ごすのは、何も考えなくていいから楽だが自分は頭が腐ってしまいそうだ。

この宿にバイクを置かせてもらってサンティアゴからブラジルへ飛行機で飛ぶ!
なぜかって?それは今この時期にブラジルでリオのカーニバルをやっているからさ!


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