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世界一周ツーリング日記  1995年6月〜1998年6月
34 ペルー 1996/1 ペルー

 

ナスカの地上絵を見たら次はクスコだ。国道をそのまま行くと楽そうだがちょっと遠回りなので直接アンデス山脈の中に向かう道を選ぶ。草木も生えない山岳路をどんどん上がっていく。狭くくねくねとした道が台地になり、そして牧場に変わった。飼われているのか毛の短いリャマがたくさんあたりにうろちょろしていて、何度も彼らと衝突しそうになった。だいぶ標高が上がったらしくバイクはかぶり気味になってきた。
ナスカから100kmで道はダートに変わり気温も下がった。すると前方からなんとバイクがやってくるではないか。XT600に乗ったブラジル人で寒さのために着ぶくれいてバイクは泥だらけだった。彼はバイクを降りるなり「ここにも頭がおかしい奴がいた」と笑いながらいった。まったくだ。こんな車も通らないダートの山道を凍えながら走るなんて頭がおかしいに違いない。

昼過ぎにプキオの村に着いた。村の中心の教会前の食堂で昼食を食べる。通りを歩く人の姿もないひっそりとした村だった。
「静かな村ですね」と店番のおじいさんに話しかけた。
「今はな。昔はすごかった。村のいたるところで銃撃戦があってな、そのとなりの家も燃えてしまったんだ」
「戦争ですか?」
「テロリストだよ。ほんの3年前だ」
そのころはペルーのゲリラ活動が激しかった頃だ。

「この村は標高2000mくらいですか?」
「3000mあるよ。あんたが通ってきた道は3800mあるんだ。そしてこの先は4000mを越えるんだ」

険しい山と深い谷がづっと続いている。ナスカで30℃あった気温は4000mの峠で5℃に下がった。こんな高地でも小さくて貧しそうな村が時折現れる。そしてその貧相な家の影からいくつもの目が追いかけてくる。さらに必ず犬が狂ったように吠えながら追いかけてくる。

2日目にやっとクスコの町に着いた。無事宿を探すとほっと一息することができる。

この宿にはモトラ50!で北米、中米、南米を走っている佐野さんという人がいた。やはり非力な50ccだと高地でつらいらしく、犬に追いかけられて逃げきれずに噛まれたといっていた。スピードが出ない50ccのバイクでの旅はかなり大変だろうに。

彼はここの民族衣装のポンチョがいたくお気に入りらしく、もう何度もポンチョ屋めぐりをしていた。その中の一軒に連れて行ってもらうとそこにはポンチョばっかり所狭しと置いてあった。彼は店の主人ともう顔なじみらしくそのまま奥の部屋へ直行。骨董品のポンチョがたくさんあり、入り口にあるみやげ物用のケバくて安っぽいポンチョとはまったく違っていた。彼はすごい、すごいといっているが自分には薄汚れた毛布みたいにしか見えない。そして彼はその中のひときわ薄汚れたポンチョを300ドルで買った。どうやら100年前のポンチョらしい・・・・。

クスコといえば南米観光のハイライト、マチュピチュの遺跡があるところだ。当然見逃すことはできない。しかし遺跡まで道路は通じていないので宿にバイクを置かせてもらって列車で行くことにした。

翌日昼過ぎに鈍行列車で遺跡の村へ出発。列車はいきなりスイッチバックで急坂を登り始めた。盆地のクスコを這い出るとやっと普通に走り始めた。ひっくり返るんじゃないかと思うぐらい列車は揺れるがその中を物売りがしつこいくらいにこれ買えこれ買えとやってくる。外国人用特急列車もあってそっちが速くて快適なのだろうが、なんか日帰りで忙しい旅になりそうなのでこの混雑したペルー人だらけの鈍行列車を選んでみたけど・・・。
夕方に遺跡間近のアグアスカリエンテス村に着いた。ここはその名の通り温泉があるらしいのでさっさと宿を決めて温泉に入りに行く。どうやら河原にある露天風呂らしい。川を上っていく道はまんま日本の温泉地の雰囲気だ。河原に小さな掘立小屋が立ち、そこに目指す温泉があった。露天風呂といってもここは外国だから当然パンツは履いたままだ。もう消灯が迫っているのか電気をパカパカ消されるが、久しぶりの温泉なのでゆっくりつからせてください。四角い湯船が2つあり、上部の湯船が温度が高かくて適温だった。思わず、ううーっと声が出る。やっぱ温泉はヨカなあ。
さあ、明日は念願のマチュピチュだ!


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