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世界一周ツーリング日記  1995年6月〜1998年6月
28 コスタリカ、パナマ 1995/11 コスタリカ、パナマ

 

国境で出国のためにまたスタンプ集めに走り回りやっとニカラグアの出国を済ませることができた。それから45km先へ進むとコスタリカ側の国境があった。
バイクを停めるといきなりバアーッとバイクの消毒をされた。コスタリカは中米一の先進国なので入国はスムーズで、ちゃんとコンピューター管理されていたほどだ。しかしバイクは最低でも
1ヵ月の強制保険に入らねばならなかったのには閉口したが。

コスタリカに入ると今までと世界がガラリと変わった。田舎町でもちゃんとガラス窓が入ったきれいな家が建っている。ポンコツ車は走っていないし、牛が道路を占領したりしない。まるでアメリカの田舎町を走っているようだ。公園には物売りも靴磨きも浮浪者もいない。レストランではビニール袋入りのフォークとナイフが出てきた。なんと爪楊枝まである!スーパーではちゃんとガラスのショーケースに入った肉を売っている。なんと清潔そうな国だろう。
先進国なので何でもあるがその分物価もポンと上がった。
ここで次のパナマに行くために大都会サンホセでビザを取得する。コスタリカは火山やジャングル、海などの自然が豊富でその手のツアーとかもたくさんあり魅力的だが、そのまま通過することにした。
コスタリカは軍隊を持たない国として有名だが、迷彩服を着てパトロールするその姿はどう見ても軍人にしか見えない。

パナマへ向かう。国境でポンポンとコスタリカの出国手続きを済ませ、次のパナマ入国もバイク消毒のオマケつきでスムーズに済んだ。
暑い。さすが赤道直下だ。
Tシャツ一枚で走る。
道路に小動物が死んでいた。よく見るとイグアナ!おお、こんなのが住んでいるのか。それからたまにちょろちょろと道路を横切るイグアナを見かける。最初の大きな町を過ぎるとぱったりと車がいなくなった。
パンアメリカンハイウェイは山間部を走る。荷物をたくさん積んだサイクリストを追い越す。サイクリストなんてカナダで見たきりじゃなかろうか。中米もサイクリストに人気があるのだろうか。
暗くなったのでポノノメという町に泊まる。現金の持ち合わせが無かったのでホテルのレストランで
0.7ドルのビールを20ドルのトラベラーズチェックで払ったら手数料を1ドルとられた!ビールより高くついた!
パナマでは現地通貨が無く、アメリカドルがそのまま使われているのでしばらくはドルの現金に困ることは無いだろう。
パナマもポンコツ車は走っていなかった。右手に太平洋が見える。アメリカ空軍基地の横を通るといきなり大きな橋が現れた。それがパナマ海峡だった。
まずは宿探しだ。まだ昼なので大丈夫だろうと思い、すごく治安が悪いといわれているパナマ市の中心街へ向かう。旧市街は古びた
34階建てのビルがひしめき合っていた。狭くて汚い道路脇には男共がたむろしている。ん〜なんかヤバそうだ。
旧市街の教会前のホテルに泊まることにした。明るいうちに町での用事を済ませなくては。教会前から商店街へ続く道だけはやや広く人通りも多いので少しは安全そうだ。
町を歩くと人種の比率がぐっと黒人の方が多くなったのがわかる。パナマは豊かなのか、商店街は買い物客でごったがえしていた。銀行でこれから南米で必要になるトラベラーズチェックを買い足す。
日が暮れてホテルに戻ると真っ暗で、フロントにはろうそくが
2本立っていた。停電らしい。何もできないのでホテル前の公園でぶらぶらするしかなかった。。同じように夕涼みをしていた黒人のオバちゃんと話をするとパナマ料理の話題になった。パナマ料理は知らないというとオバちゃんは明日の昼にご馳走してあげるといってくれた。こういう地元の人とのふれあいが楽しい。
あいかわらず停電は続いていたのでもう寝ることにする。
翌日昼に14歳の娘が料理を持ってきてくれた。包みを受け取るとまだ熱かった。皿の上には豪華な料理が載っていた。香辛料が良く効いたチキン、ココナッツミルクが入った赤飯みたいなゴハン、キャベツのサラダに揚げバナナ。すごくうまい!昨日の夕食の中華レストランのチャーハンとは比べ物にならない。暖かい料理と一緒にオバちゃんの暖かさも受け取った気がした。
食べ終わった頃にまた娘が戻ってきた。
「どうだった?」
「うん、すんごくうまかった!」
知っている限りのうまいという単語を並べたらなんとか通じたようだった。雨が降ってきた。そばの商店で
2人でコーラを飲む。飲み終わると彼女は小雨の中、家に帰っていった。
町から45q離れたところにパナマ運河がある。ここは小学校の地理かなんかで出てきて水を貯めて船が上に上っていくというのを教わった。理屈は解るけど実際に大きな船が何十メートルも上がり下がりしていくのを見るとやはりすごいと思ってしまう。
そのパナマ運河は100パーセントアメリカ人が仕切っていて、言葉はスペイン語だがもう完全にアメリカだ。ここももうじきパナマに返還されるそうだがたとえそうなってもパナマは何もできないだろう。アメリカがこんな重要な場所を放棄するとは思えない。自国の通貨を持たず、まるでアメリカに飼われているようなその姿は日本とダブって見えた。

太平洋側の町パナマからからカリブ海側へ
2時間程北上するとコロンという町に着いた。ここの港から南米大陸のコロンビアまで今年からフェリーが就航している。パナマの旧市街以上にヤバそうなコロンの町はさっと通り過ぎて港へ向かう。
港の倉庫の中にある船会社の事務所で切符を買おうとしたら、人間が
4人集まれば1人当たり143ドルから74ドルになるというので人が集まるのを待つ。するとチリ人の男性1人とパナマ人のオバちゃん2人と一緒になることになった。
オバちゃんはまだ連れが来ていないようで
1人荷物を抱えて待っている。船の代金とは別に人間の出国税が20ドルかかった。バイクは書類を何枚も何枚もコピーされてやっと切符を買うことができた。バイク代25ドル。
書類を抱えてバイクのところに戻ると身分証をつけた男と作業員がいた。身分証を付けた男に書類を見せようとすると、横からその作業員が割り込んできて
「おいおい、許可を与えるのはこのオレだぞ!」
と言った。こいつが税関の役人か!まったく貫禄がないので間違えたじゃないか。
書類をちらりと見ると
「もう
4時だ。遅いな。次の水曜日のフェリーで行きな」
と言った。こいつは何を言い出すんだ?
「今まで切符買うために待ってたんだ!」
「税関は
4時までだ。もうだめだ」
といばりくさって彼は言った。
「いいや、今日行く!もう切符を買ったんだ!」
「遅れそうならなぜ走らないんだ?」
こいつは嫌がらせをやっているとしか思えない。こっちがまったく引き下がりそうにないので彼はしぶしぶ検査を始めた。
「これはおまえのバイクか、中国人」
「おれは日本人だ」
「そうか日本人か、中国人」
まったく頭にくる。
「コピーが足りない。とってこい」
コピーをとりに事務所へ走る。
「もっともっと必要なんだよ」
「これで全部だ!」
と彼に持っていたコピーの全てを突き出す。フェリー会社の従業員も必死に説明してくれている。そしてやっと彼は諦めて
「行けよ、行っていい」と言った。
もう出航が迫っている。すぐにバイクを船倉に持ち込んで作業員にちゃんと固定してくれるように頼む。一旦船の外に出て、イミグレーションでパナマの出国スタンプをもらってやっと客室に入ることができた。ふう。
シャワー、トイレ付きの
4人用の寝台だった。チリ人男性はすでにシャワーを浴び終えていた。彼はマークスといって今まで中米を旅し、これからアマゾンへ行くと言った。彼はコスタリカで体中をアブに刺されたらしく、その傷口がまるでホラー映画のようだった。
結局パナマ人のオバちゃん
2人は来なかったので4人用を2人で広く使うことができた。
出航してしばらくすると船は揺れだした。日が暮れて暗くなるとだんだんと酔ってきたのでベッドに横になる。メキシコ湾のフェリーを思い出す。マークスのノックで目が覚めた。どうやら眠ったらしい。
「夕食はどうするんだ?レストランはもうすぐ終わるぞ。すごく豪華な料理がタダ、タダだぞ!」
「何!ただ?」
そいつは食べねば。しかし船はまだ揺れている。せっかくのおいしいコース料理もサラダとパン
2切れしか喉を通らなかった。あーもったいない。隣のテーブルにいた婦人が「あなた船酔いしたの?これを飲みなさい」といって酔い止めの薬をくれた。
「私もなの」といったがとてもそんな風には見えないほどしゃきっとしていた。揺れる頭と胃袋を抱え、船室に戻りまた横になる。マークスは
12時頃部屋に戻ってきた。よく元気があるな。
9時頃目が覚める。もう船酔いはすっかり治まっていた。バイキング形式の朝食を、昨日の夕食の分まで腹よはじけろとばかりに食べる。

甲板に出るとすぐそこに南米大陸があった。とうとう来たぞ!
「この先ずっとアルゼンチンまで続いているんだな、マークス!」
「そうさ、南米だよ、南米」と彼は答えた。

 

 


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