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世界一周ツーリング日記  1995年6月〜1998年6月
24 エルサルバドル 1995/11 エルサルバドル

結局56日間お世話になったホストファミリーに礼をいって、いよいよアンティグアを出発する。
旅の再開だ!東へ、エルサルバドルへ向かう。

北海道みたいなのどかな景色の中を快適に走るとやがて国境に着いた。
グアテマラの出国ゲートに着くと同時に両替屋やチップ欲しさの子供たちがワーッと寄ってくる。それらを振りほどきながら出国手続きを済ませる。
人間はパスポートに出国スタンプをもらって終わりだが、バイクはちと面倒だ。グアテマラに入国するときに通行許可証を作ってもらったがその1ヵ月の期限はとうに過ぎている。グアテマラシティーで延長手続きをしようとしたらあまりに面倒くさかったのでほったらかしていたからだ。
税関で期限切れの書類を何食わぬ顔で提出したら(内心ヒヤヒヤ)役人は少しの手数料だけで処理してくれた。どれだけボラれるかと心配していたので拍子抜けしてしまった。
これでグアテマラの出国手続きは終わった。これからエルサルバドルの入国手続きだ。
こっち側でもまたガキ共が「イミグレ、イミグレ、パスポート」いいながら寄ってくる。
またも彼らをぶっちぎって入国手続きを済ませる。
人間はツーリストカードを買うだけで済んだが、バイクは大変だ。税関で書類を一枚もらい、警察官にバイクの書類と車体番号をチェックしてもらって許可証をタイプしてもらい、別の部屋で台帳に記入され、また別の書類をもらい、別の部屋でそれにハンコをもらって
10コロン(120円)払ってやっと済んだ。
オフィスにいた少年に手伝ってもらっても
1時間以上かかってしまった。無事済んだので少年に礼を言うと「チップくれよ」と返ってきた。なんだここの職員じゃなかったのか。どうりで親切だった訳だ。
10コロン払うと満足そうな顔をした。
最後の遮断機のゲートで残っていた書類を渡すと(まだあんのかい)「いい旅を!」といって見送ってくれた。

エルサルバドルに入ったぞ!
国境通過でかなり時間を食ってしまったので最初のサンタアナという大きな町に泊まることにする。暗くなりかけた頃にやっと見つけたホテルには駐車場が無かったので入り口の階段を従業員に押してもらってロビーに入れた。

翌朝静かなサンタアナの町を散歩した後首都サンサルバドルに向かう。
走り出した直後いきなりパンクした。後輪に
4cmくらいの釘がブッスリと刺さっていた。
このツーリングで初めてのパンクだった。パンクだパンクだ初パンク〜となぜかうれしがりながらパンク修理をする。
小さな村をいくつか過ぎると急に道が広くなり、車も多くなった。そして首都サンサルバドルの町に突入した。まずは宿探しだが道路に名前がついていないのでまったく自分の位置がわからない。町中が車、人、露店などで大渋滞しているし、しかも一方通行ばかりなので目指す方角へ走ることもできない。2時間ほど街中をうろうろしてやっとホテルを見つけることができた。この宿はは3階建てで上の階に行くほど値段が安くなっていた。荷物を部屋に運び込むと宿探しと渋滞から解放されてほっとした。身軽になって町歩きにでる。
町に交通ルールは無かった。市内を走る改造マフラーのハイエースのミニバスはバリバリバリといわせながら狭い道をすっ飛ばす。交差点に信号機はあっても守る車はいない。譲り合いの精神なんかないので町中が渋滞している。人々は車が途切れたほんの一瞬に命がけで道路を横断する。車は人がいても止まろうとはしないし、見てもいない。こんなところは運転したくない!

ビルが立ち並ぶ中心街にはマクドナルドなどのファーストフード店が多いが無数の露店がそれらを飲み込む。ウィピルを着たインディヘナの姿をまったく見ないのがもうグアテマラではないと思い知らされる。町には物が溢れ、やたらと太った人が多い。それほど先進国ということなのだろうか。町の持つエネルギーに圧倒されてホテルに戻る。

翌朝、バリバリバリという車の騒音で目が覚めた。まだ5時じゃないか。勘弁してくれ。
8時頃朝食を買おうと散歩がてらパン屋さんに入ったがやたら甘そうな菓子パンしかなかった。仕方なくくどくなさそうなパンとコーヒーを注文する。店員のかわいいおねえさんに内戦の話を聞こうとしたが自分のスペイン語はそこまで達者ではなく、1992年に終わったということしかわからなかった。言葉がわかれば興味深い話がたくさん聞けただろうに。いろんな意味で残念だ。


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