ブログ 自然 オートバイ 写真 プロフィール リンク
世界一周ツーリング日記  1995年6月〜1998年6月
13 アメリカ西海岸 1995/7 アメリカ

まずはアメリカとの国境、シアトルへ向かう。その前にカナダドルが残っていたのでオイル交換をやり、中華のファーストフード店で昼飯を食べる。バイクもお腹もバッチリになったのでいざアメリカへ。
そしてでかい国境に着いた。
カナダ側でカルネ手帳とパスポートに出国のスタンプをもらう。アメリカ側ではゲートでパスポートをちらりと見られただけで済んだ。ここからまたマイル表示に変わった。

アメリカのフリーウェイはたくさんの大型トラック、車がバンバン走っていて、しかも100キロ以上で交通の流れに乗らないとかえって危ない。それを思うと気が重くなる。バイクにも負担をかけたくない。
国境からシアトル市内に近づくとだんだん車の量が増えてきた。そしてやっとシアトルを通り過ぎるともう日が暮れてしまった。
寒くなってきたのでサービスエリアでカッパを着て走る。
ふと空を見上げるとキラリと光るものがあった。
星だった。
「おう」と声が出た。
今まで暗くならない北にいたし、天気も悪かった。星が懐かしかった。
午後11時頃フリーウェイのレストエリアに入り、芝生の上で寝袋に入って星空を見ながら寝た。

朝のキンキンに冷えた空気の中を走る。カッパを着ないと寒いくらいだ。ひたすら南へ南へ向かう。太陽が高くなってくるとどんどん気温は上がり、Tシャツ一枚で走れるくらいになる。
アメリカ西海岸のメインルートは市内じゃなくても交通量が多くうんざりしてきたので州道に降りてみたら、道が狭くなった分路肩にバイクの逃げ道がなくなりかえって危なかった。仕方なく国道に戻る。

夕方になるとだいぶ気温が下がってきた。レストエリアで休憩しよう。ストーブを取り出し、チリビーンズの缶詰を温めて食べる。
ヒッチハイカー2人と話をする。カリフォルニアに行くんだと言って乗せてくれる車を探しにいった。 
オフロードバイクをトレーラーに積んだ車がやって来た。自分のバイクを見るなり「やあ、いいバイクだなあ」といって話しかけてきた。
「XRかい?オレも持っていたんだがオイル温度が上がりすぎてエンジンが壊れちまいやがった。これは水冷だから大丈夫。」と自分のKLR650を指差していった。
彼とバイクの話をしていると遠くでパーン、パパーンと銃声が鳴った。すると彼は言った。「バカ共がいるんだよ。でもこの国はそんなに悪い国じゃない。犯罪、暴力ばっかりだと思われているけど、それは新聞や雑誌が売るためにセンセーショナルの記事ばかり書いているからなんだ」。
「どこへ行くんですか?」。彼はさっきのヒッチハイカーの方を気にしながら、「カリフォルニアに戻るんだ」と言った。「ああいうのは乗っけたくないんだ。じゃあ、気を付けてな」「そちらこそ」。彼は去っていった。

暗くなってきて出発しようとしたらさっきのヒッチハイカーがまたやってきた。「ストーブ貸してくれない?」。彼らはポップコーンを作りたがっていたが道具を何も持っていなかった。
別に急いでいるわけではないのでパッキングの中から道具を取り出して貸してあげる。
男3人でテーブルを囲んでポップコーンを作る。ストーブのゴーッという音と、シャカシャカというポップコーンの入った鍋をゆする音がする。日も暮れて相手の顔もよく見えなくなってきた。気温も下がってきた。
ポツリポツリと静かに会話をかわす。
「週末の夜だっていうのに寂しいよな」
「みんな乗っけてくれる?」
「ほんの少しだけね。でもレストエリアが一番いい」。ゆうべはレストエリアで寝たそうだ。自分と同じじゃないか。
ポップコーンを食い終わると「ちょっと洗ってくる」といってトイレに走っていった。
そして「ごめん、焦げ付いたみたいだ」といいながら戻ってきた。ちゃんと洗いにいくなんてまともな奴らじゃないか。
彼らと別れ、再びカッパを着て走り出す。

夜のフリーウェイを30分も走っただろうか、追い抜き様に手を振ってくる車がいた。手を振っているのはさっきの2人だった。
運良く乗っけてもらえたんだ。この寒いのに車の窓から上半身を出してうれしそうに手を振っている。こっちも手を振り返すと、車は先の方に消えていった。
なんかジーンときた。旅してて良かったと思った。


TOPに戻る

inserted by FC2 system