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オートバイの部屋
先ずはバイク歴から


僕は中学校時代は自転車少年だった。遠くに出掛けるのも好きだが普段はBMX
のパンケーキに憧れるダート大好き小僧だった。そんな僕がオフロードバイクを選択したのは当然のなりゆきだった。

最初はヤマハ
DT125を考えていたが、バイク屋さんでスズキハスラー250の新古車が同じような価格だったのでそちらに決めた。しかしじゃじゃ馬として名を馳せていたハスラー2502スト)は、免許取立ての素人ライダーには恐ろしすぎた。
初めて連れて行ってもらった近所の林道ではあっという間に置いて行かれるし、道に迷うははぐれるは、終いには転倒して足をけがするはで散々だった。やっとバイクに慣れてきたのは
1万キロを過ぎてくらいからだった。それでもみんなに置いて行かれる状況は変わりなかったが(泣)。


時代を感じさせる写真ですな

次にホンダXL250Rに乗った。当時僕はS社関連の会社に勤めていたがS車に魅力的なバイクがなかったのでこっそりとホンダ車を買ったのだ。4スト250ccのバイクはアクセルを開ければ速かった。ハスラー250の、のけぞるような加速はないがアクセルを開けていればすぐに追いついてしまう。しかも燃費もいいし、オイル補給をしなくていい(一度エンジンオイルを切らしかけてエンジン焼き付き寸前までいったことがあった)。背中にオイルの黒い染みが出来ることもない(笑)。品質も高く、かなり満足できるバイクだった。


ヘッドライトは当時のレーサーXR200のをつけてます

ヤマハXT200が発売になった。125ccの小さい車体に4ストローク200ccのエンジン。軽い車体に(乾燥98Kg!)そこそこのパワー。当時は中途半端な排気量だ、と世間では相手にされなかったが、実はこのバイクはセローの原点なのだ。ライダースクラブでも万澤康夫が絶賛していたなあ。このバイクは実に楽しかった。小さい車体は腕がなくてもなんとかなりそうと思わせるし、程々のパワーはアクセルを開ける楽しさを教えてくれる。それまでのバイクでは、林道で飛ばさないと楽しさを感じなかったが、このXT200は動き出した瞬間から楽しかった。もう、暇さえあればこのバイクに乗っていた。乗ると楽しいし、上達もする。すると乗ることがもっと楽しくなり更に乗るという良循環だ。免許取ってすぐに身の程知らずなバイクに乗るということは、腕の上達という点でかなりの遠回りだと実感した。いいバイクは腕の上達も助ける。


フレームを白に塗り、シートとフォークブーツを黄色に変えたらもっと軽やかな印象になった

林道走行にツーリング、挙句には耐久レースにも出るほど酷使されたXT200はスイングアームの一部が折れるなどさすがにガタがきた。
次に乗ったバイクはスズキ
SX200R。また200ccだ。オフロードバイクはパワーより車重の軽さモノをいう。しかしこのバイクはオフロードを楽しく走ることよりも、オフロードも含めたツーリングや日常の使い勝手の方を考えられていた。15リットルタンクがそれを物語っている。ガンガン走るとフワフワのサスペンションは落ち着きを無くし、エンデューロレースに出るとリヤスプロケット取り付けボルトが全部緩んで飛び出してきた。


現在のDF200の祖先 最初は普通のバイクでした

そしてRH250が登場。2スト250ccエンジンは40馬力(だったかな?)を発揮し、当時最強マシンだった。ワークスマシンと同じ名前を持つこのバイクはスズキのこだわりを感じさせ、リヤブレーキのトルクロッドもフローティングだった(マニアック過ぎるか)。このバイクでも林道ツーリングやエンデューロレースなどガンガン走った。当時はバイクブームで各地でエンデューロレースもたくさん行われていたのだ。
SX200同様、RH250もヘッドライトはバッテリー点灯12V45Wと明るかったので夜の林道走行も楽しくなった。夜の椎葉林道を昼間以上のペースで走ったこともあった。椎葉林道はかなり崖が険しくてコワイ峠だが夜だとその崖が見えないし、対向車が来るのはヘッドライトで分かるからだ。他のバイクだとコーナー入り口でエンジン回転が落ちた時にヘッドライトが暗くなるし、もし減速中にエンストしたらヘッドライトが消えて、真っ暗なままコーナーに突っ込んでいかなければならない。


RMリヤフェンダーをつけたり、ウィンカーをホンダビートの小さいのに交換

RH250もくたびれてきたので、カワサキKDX200SRに乗り替えた(また200!)。以前空冷KDX200に乗ったことがあり、その軽さとパワーに感激していたので即決だった。ボエーボエーと下向きの排気口から白い煙を吐くのはちょっとやる気をそぐが、パワーのあるエンジンに余裕たっぷりのサスペンション。少し高めに感じる重心位置は安定感をもたらしていた。その後レーサーのKDX200Rに乗せてもらう機会があったが、それはKDX200SRとは姿形は似ていても全く違っていた。気持ち良く吹け上るエンジンにSRとはグレードが違うサスペンション。取り回しもすごく軽く、乗っていて楽しー!!となり、どーしてこんなに違うんだーカワサキー!となった。


どことなくガンダムチック

その頃から倒立フロントフォークが市販車にも装着されるようになり、KDX200SR2型で倒立フォークがついた。それだけで乗り替えることはないが、ちらほらとKDX250の話が出てくるようになった。よし、これだ!と発売前にKDX200SRを手放し、KDX250SRの登場を心待ちにしていた。そして発売直後に買った友人に試乗させてもらったら、ガーン。またカワサキに騙された…。重たくは感じないがまるでハリボテのような大柄の車体にフニャフニャのサスペンション。
エンデューロレーサーの
KDX250RはモトクロッサーKX250とは完全に路線が異なっていて、アクセルさえ開けていればどれだけ道が荒れていようがお構いなしにグワグワーッと直進していくという、まるで猪突猛進バイクだが、それはそれでレーサーとしての割り切りがあって良かった。しかし市販車のKDX250SRは、スタイルはレーサーで中身はヘナチョコ市販トレール車というなんとも中途半端なバイクだった。こんなバイクには乗りたくない…。

バイクを貸してくれた友人に「なんか思ってたのと全然ちがうね…」というと彼は「…良かっちゃん!これで良かっちゃん!」と開き直りともとれる返事をした。
一番痛いところをグサッと突いてしまったらしい。しかし一番ガッカリしたのは実際にバイクを購入してしまった彼かもしれない。


改造前

友人からXLR250バハを格安で譲ってもらった。その頃僕は世界一周を実現する為に資金作りをしていた。同時にツーリングに使うXLR250バハを物色していたのだ。資金作りを終えて、そのバハにビッグタンクをつけたり、フレーム補強などを施して世界一周バイクになった。
3年かけて、約145000キロ走った。ツーリング中、まめにメンテナンスしていたのでパンク以外のトラブルらしいトラブルも無かったのは運が良かった。


改造後  定番の28リットルファラオタンク

帰国してから無性にXR600が欲しくなった。そしてインターネットオークションで91年式のXR600を手に入れた。
4
ストシングル、600cc。こいつはスゴイ!
アクセルひと開けで前輪は空高々と上がり、そして背中を蹴飛ばされたように加速する。身構えていないと本当に首がグキッといってしまう。
更にダートでは1速はもちろん、2速、3速に入っていてもアクセルさえ開ければ後輪が空転してしまうのだ。
まるでドリフトマシン。上を向いているか、空回りしているか。
しかしそんな走りを続けているとあっという間にリヤタイヤは磨り減ってしまう。ヘタすると
1000キロどころか500キロ持たない。ツーリング一日でタイヤが無くなりそうな勢いだ。XLR250バハでは3万キロ(タイヤのコードが出てくるまで)使っていたのを思うと(笑)ウソみたい。
タイヤの減りは早いがそれ以上にアクセルを開けることが楽しいバイク。舗装路でもコーナーの立ち上がりで無意味にアクセルを開けてしまう自分がいる。
今まで乗ったバイクの中で一番楽しい!ただ変にエンストしてしまうと、100回キックが待っている。
なので、ゲロアタックは好きなんだけどあんまり行きたくない…。


右手とリヤタイヤが完全に直結している豪快バイク

実際にはこれらのバイク以外にもMinicro50、マメタン50、RG50E、RG125、82'RM125、TL125バイアルス、88'CR250、TLM200、00'CR125などを所有していた。最大で5台あった時もあった。
16歳でバイクの免許を取って以来現在までずーっとオフロード一筋で乗っている。今までは病院へは3回しか入院したことは無い(笑)。
現在所有しているのは前出した
XT200と世界一周に使用したXLR250バハ、そしてこのXR600Rだ。
おお、みんな
4ストシングルだ。

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